菅原道真は太宰府天満宮には住んでなかったトレビア

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菅原道真は太宰府天満宮には住んでなかったトレビア

菅原道真といえば

ウィキペディアによると

菅原 道眞(すがわら の みちざね / みちまさ / どうしん、承和12年6月25日845年8月1日) – 延喜3年2月25日903年3月26日))は、日本平安時代貴族、学者、漢詩人政治家参議菅原是善の三男。官位は従二位右大臣正一位太政大臣

忠臣として名高く、宇多天皇に重用されて寛平の治を支えた一人であり、醍醐朝では右大臣にまで昇った。しかし、左大臣藤原時平讒訴(ざんそ)され、大宰府大宰員外帥として左遷され現地で没した。死後天変地異が多発したことから、朝廷祟りをなしたとされ、天満天神として信仰の対象となる。現在は学問の神として親しまれる。

福岡の大宰府天満宮に行くと「飛梅 とびうめ」や「心字池」などが有名ですが

この地に左遷されたのが「菅原道真」

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東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな

この和歌を読んだ地で有名なところ

 

みなさんは菅原道真がこの太宰府天満宮に住んでいたと思いますか?

 

実は違うんです

 

実際に住んでいたのは榎社(えのきしゃ、別称:榎寺)

太宰府天満宮の飛び地にある神社

詳しい住所は福岡県太宰府市朱雀六丁目

西鉄二日市駅から徒歩5分

二日市駅の東口を出たら左(福岡側)に

線路沿いに歩くと右手に見えてくる小さな神社が

菅原道真が亡くなったところでもあり

住んでいたところです。

  • 道真は、この地での哀れな暮らしぶりを次のような詩を詠み嘆いている。
都府樓纔看瓦色 觀音寺只聽鐘聲  (都府楼は纔かに瓦色を看 観音寺は只鐘声を聞く)

Enoki-sha_shaden

もし福岡太宰府天満宮にこられる機会があれば

こちらを訪ねてもイイかも

その他こんな事も

  • 隈麿と紅姫
道真は大宰府に下る時に、幼子2人、隈麿と紅姫を連れて行くことを許されて伴ってきた、とされている。榎寺での生活は不自由な苦しいものであったが、愛らしい幼児2人が、唯一の心の支えだった。あまりにも酷い暮らしの中で道真自身、脚気や皮膚病に悩み、胃腸もこわすという状態だったが、幼い隈麿は、榎寺に着いた翌年病に罹り急逝した。

 

  • 隈麿の墓
榎寺の近くの小高い丘に、「隈麿之奥都城」とされる祠がある。

 

  • 紅姫の供養塔
紅姫のその後については定かでないが、榎社境内に紅姫の供養塔があり、また「隈麿の墓」から東へ歩いて4~5分の所にも「紅姫の供養塔」といわれる板碑があったが、マンション建設に伴い、ほど近い場所に移設された。

 

 

さらにうんちくを

実はこちらの榎社で菅原道真は「幽閉 ゆうへい」されていたとも言われているんです。

ナニか悲しい「太宰府物語」

 

 

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